大判例

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仙台高等裁判所 昭和43年(ネ)122号 判決

主文

原判決を取り消す。

被控訴人の請求を棄却する。

訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

事実

控訴人は、主文同旨の判決を求め、被控訴代理人は、「本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人の負担とする。」との判決を求めた。

当事者双方の主張ならびに証拠関係は、次のとおり付加するほかは原判決の事実摘示と同じであるから、ここにこれを引用する。

被控訴代理人は、「本件事故当時、控訴人の運転する軽二輪車が購入間もない新車であつて、その構造上・機能上に欠陥障害のなかつたことは認める。」と述べた。〔証拠関係略〕

理由

一  〔証拠略〕を総合すると、次の事実を認めることができる。すなわち

1  (事故の発生)

被控訴人は、昭和四〇年五月二〇日午後八時ごろ、岩手県江刺市米里字中沢一七七番地三浦久方東方約一〇〇メートルの市道(幅員約三メートル、非舗装)上で、右市道に沿つて流れる中沢川に丸太を渡し、その上に丸太を横に並べて架設された仮橋(幅約二・五メートル)の西北端より約二・三メートル西方の地点(以下「事故現場」という。)で転倒して尻餅をつき、第一一胸椎圧迫骨折(前掲甲第一、第二、乙第八、第一八、第一九号証、原審証人来間徳五郎の証言には、傷害を受けた胸椎は「第二」とか「第一二」とあるが、当審証人来間徳五郎の証言によると、右はいずれも誤りであつて「第一一」が正しいものであることが認められる。)のため同県水沢市の来間整形外科医院において同日から同年八月七日まで入院し、さらに同年一〇月一九日まで通院して治療を受ける傷害を受けた。

2  (受傷するまでの被控訴人の行動)

右事故当時、被控訴人は、近隣の佐藤辰夫方での稲苗取りの手伝いを終つて、佐藤丑蔵、菊池慶治郎、中山健治、平沢亀三郎らと帰途につき、事故現場付近を東に向かつて歩行中、前方から控訴人運転の軽二輪車(一岩た三二九号)が、後方から浅倉正雄運転の原動機付自転車(江刺市二〇九七号)がともに近づいて来るのを発見したので、右五人のうち一足先に歩いていた佐藤丑蔵と菊池慶治郎は、先へ急いで左側の土手に避難し、続いて平沢亀三郎と中山健治は、右側の前示仮橋に避けたため、被控訴人もこれに続いて右仮橋に避けようとしたが、ふと後方からの原動機付自転車は息子が運転しているのではないかと思い、これを確かめるべく後方を振り向きながら二~三歩前進したところ転倒し、受傷した。

3  (そのころの控訴人の行動)

控訴人は、当日午後八時ころ、前示軽二輪車を運転して時速二五~三〇キロメートルの速度で西進中、前示仮橋の手前約四〇メートルの地点に差しかかつた際、前方二〇~三〇メートルのところに二人の人影を認めたので、右二人が進路の左側に避けるものと予測して進路を道路中央にとつた直後、二人は進路右側土手に避けるべく駈け出したため、そのまま進行すれば衝突の危険を感じ、あわててハンドルを左に切り速度をやや減じたが、その際のハンドル操作が確実でなかつたため車両の安定を失い、ふらふらしながら左斜め前方に向かつて進行するうち、仮橋の手前約八メートルの地点で右仮橋入口付近に二~三人の人影を新たに発見し、そのままでは衝突の危険があつたので、あわててブレーキを踏みハンドルを右に切ろうとしたのであるが、狼狽のあまりブレーキベダルから足をはずしてしまい、ハンドルを右に切ることもできずそのまま斜めに進行して仮橋の入口中央付近から仮橋に乗りあげ、その際のシヨツクと仮橋西端に積んでいたチツプ材が歯止め役となつて、後輪も仮橋に乗りあげようとしたときエンヂンが止まりやや後退して停車した。

その時、平沢亀三郎と中山健治は、右仮橋上に辛うじて避難した直後であり、中山がやや入口近くにいたため、軽二輪車が仮橋に乗りあげ後退して停車する際、控訴人の肩が中山の肩に触れ、同人を仮橋上に転倒させた。そして、控訴人が倒れかけた軽二輪車を立てなおしたとき、西方から女の唸り声が聞こえて来たので、行つてみると事故現場に、被控訴人がうつ伏せに倒れ苦しんでいた。

二  以上の認定事実を総合すると、被控訴人は、平沢亀三郎や中山健治に続いて仮橋に避けようとした際、車両の安定を失い左斜めに進行して仮橋に進入し停車した控訴人の軽二輪車に衝突し、そのはずみで転倒したために前示傷害を被つたのではないかとの疑問が起こらないでもなく、〔証拠略〕によると、被控訴人は、仮橋に避けようとした際、前方から来たオートバイに衝突され飛ばされて転倒した旨供述しているのであるが、後記認定事実にてらし、被控訴人の右各供述は措信できない。

すなわち、〔証拠略〕を総合すると、さらに次の事実を認めることができる。

1  (被控訴人の前示傷害はひとりで転倒しても起る。)

被控訴人が受けた第一一胸椎圧迫骨折は、強く尻餅をついたような場合に、頭部の重さと地面からの反対の力にはさまれることによつて脊椎が圧迫され生ずるものであつて、横に倒れるとか背中が先について倒れるような場合に生じないものである。なお、中年以後は、さほど強くつかないでも起りうるものである。

2  (被控訴人には軽二輪車と衝突した傷跡はなかつた。)

被控訴人は、右乳房下付近に控訴人の軽二輪車が衝突した旨供述するのであるが、被控訴人が来間整形外科医院に入院中、入院後間もない昭和四〇年五月二六日、左下腿中央部内側に黒血が寄つていたのが発見されているほか、他になんらの外傷も発見されていないし、被控訴人から苦痛の訴えもなかつた。もつとも、〔証拠略〕には、「右前胸部打撲」の病名も記載されているが、右診断書は昭和四〇年一〇月一九日に作成されたものであり、しかも、当審における来間証言によれば、被控訴人が右前胸部の痛みを訴えたのは同月四日であつて他覚的所見は何もなかつたというのであるから、右の記載をもつて、事故当日衝突したことによつて生じた傷害と認めることはできない。

3  (被控訴人の転倒した位置と控訴人運転の軽二輪車の停車位置とは離れすぎている。)

前示認定のとおり、被控訴人が転倒していた地点は、仮橋の西北端から西方約二・三メートルの地点であり、控訴人運転の軽二輪車は、東方より左斜めに進行して来て仮橋の中央付近から仮橋内に進入し、その後輪が仮橋に乗りあげようとした時停止したのであるから、仮に、軽二輪車のハンドルが被控訴人に衝突したため被控訴人が転倒したとするならば、右衝突地点は仮橋の西北端よりも中央寄りになるはずであつて、その衝突地点から転倒地点までは二・三メートルを下らないこととなる。したがつて、その間の距離よりすれば、被控訴人は、相当の強さで衝突され、その間はね飛ばされるかよろめいて転倒したものというべきところ、右衝突するころは、控訴人の軽二輪車は停止寸前であると推認できるから、その衝突による転倒地点が二・三メートル以上も離れた地点であることは疑問であり、さらにこの点を度外におくも、年令五〇年を越えてかなり運動能力が低下していると思われる被控訴人が、足場の悪い事故現場付近を二・三メートル以上も転倒しないでおられたかは疑問であるばかりでなく、二・三メートル以上も飛ばされるかよろめいて転倒しても、なおその腰、背中、肩、頭または手等になんらの外傷も負わなかつたのは首肯し得ない。

4  (被控訴人は、同行の平沢亀三郎、中山健治とも数メートル離れたものと推認される。)

事故当時、被控訴人と連れ立つて歩行中であつた平沢および中山(先に平沢、続いて中山)が、仮橋に避難した瞬間控訴人運転の軽二輪車が仮橋に乗り上げたのであり〔証拠略〕、そのころ被控訴人が原動機付自転車を振り返りながら歩行して来たことは前示認定のとおりであるから、被控訴人は、右中山に数メートル離れたものと推認されるのである。しかも右両名とも、控訴人運転の軽二輪車が被控訴人に衝突した旨供述していない。

5  (浅倉正雄は、被控訴人がひとりで転倒した旨供述している。)

浅倉は、被控訴人らの後方から原動機付自転車で進行中、進路右側を歩行していた被控訴人に五~六メートルまで近づいたとき、被控訴人が車等に衝突されて倒れるような倒れ方ではなく、自然にくずれるように転倒したのを目撃した旨供述している。もつとも、同人は、原審において証人として出廷し、被控訴人の転倒を目撃していない旨供述しているが、右供述中には、それまでの司法警察員(乙第二号証)や検察官(乙第一三号証)に対する供述を変更する理由についてなんら首肯しうる説明がなく、むしろその点についての答弁に窮していることや当審証人として再び捜査官に対する供述を符節する供述に及んでいることから、措信できないのに反し、目撃した旨の前記供述は、転倒の模様につき経験したものでなければ述べえないような事柄についても述べていることや被控訴人が転倒前、「自分の方を振り向いた」旨述べていて被控訴人の供述に合致する供述をも含んでいることにかんがみ、措信するに足りるものである。

以上認定の事実にかんがみると、被控訴人がひとりで転倒したのではないかとの疑問を払拭できず、他に被控訴人が控訴人運転の軽二輪車に衝突して転倒した旨の被控訴人の主張を認めるに足りる証拠はない。

もつとも、前掲各証拠によると、控訴人は被控訴人が事故現場に倒れて苦しんでいるのを発見するや、被控訴人を付近の三浦久方まで背負つて行つて休ませた後、医師の往診を頼みに行き、さらに被控訴人が、その夫とともに水沢市内の来間整形外科医院に診察に赴いた際、これに同行したうえ、来間医師に名刺を手交して「自分が一切費用を払うからよろしく。」と挨拶していることが認められ、この事実は、当裁判所の右認定判断にそわないもののようであるが、控訴人が、被控訴人の転倒しているのを発見するまでの経緯は前示認定のとおりであつて、それは、控訴人が被控訴人を転倒させたのではないかと誤認しやすい状況にあつたうえ、被控訴人が三浦久方で控訴人運転の軽二輪車に衝突された旨言い出したため、控訴人も、事故発生時の状況を冷静に判断しないまま、もしや自分が転倒させたのではないかと不安に思い、その旨思い違いして右のような言動となつて現われたものであることをうかがうことができるのである〔証拠略〕。このことは、控訴人は、少くとも医師の往診を頼みに行つたころまで被控訴人に衝突させたとの認識がなく〔証拠略〕(したがつて、その時点までの被控訴人に対する介抱は控訴人の善意措置といえる。)、また、来間医院での診察の結果から再び自分が衝突させたものではないと考えるに至つたこと(原審証人小林善三郎の証言中、控訴人の警察官に対する事故報告の内容に関する部分)にかんがみても、これを肯認できるものである。したがつて、控訴人の前示言動、殊に来間医師に対するものは、控訴人の一時的な思い違いから出たものであつて、自己の事故責任を認識し、真実これを肯定したためではないというべきであるから、控訴人の前示言動は、控訴人運転の軽二輪車が被控訴人に衝突したことの証左となるものではない。

三  してみると、被控訴人の本訴請求は、その余の点につき判断するまでもなく失当として棄却すべきところ、これを全部認容した原判決は失当であるからこれを取り消すこととし、民事訴訟法三八六条、九六条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 羽染徳次 田坂友男 丹野益男)

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